「言葉」の限界と危険性

今回は、今後ブログや記事を書いていく上で、とても、そして一番大切なことを書きます。

人類の発達とともに進化していった様々なツールの一つとして、コミュニケーションである「言葉」があります。自分ではない誰かに、自分の思いが伝わったり、考えを聞いたり、一緒に冗談を言って笑ったり…。

人間が発達、発展していく上で、画期的なツールとなった「言葉」ですが、そんな画期的なツールにも落とし穴があり、私自身、日常的に気を付けているということを、ここにお伝えしたく、筆を執ります。

「言葉」の役割

”ペンは剣よりも強し” という格言があるように、言論・情報の伝達は、暴力よりも強いと言われるほど、良い意味でも悪い意味でも影響力があります。

言葉は、日々の生活の中で、「机にあるペン取って」とか、「今日、Aくんとケンカした」とか、はたまた新聞やTVで社会情勢を学んだり、といった、コミュニケーションや情報収集に活用されます。文字、音声、手話、点字などで、伝えたい事を共有できます。

その反面、言葉は、相手を傷つけたり、誤解を生んだり、なかなか言いたいことが伝わらなかったり、というマイナス面を持ち合わせます。

なぜでしょうか。

「言葉」の性質:言語的論理処理

私の兄*がこんな事を言っていました。

言葉というのは、本当に伝えたい事を限ってしまう

彼はいつものごとく名前を付けていました。

『言語的論理処理』

(=言語を使った論理的な処理…かな?)

「ある事象を、言葉で表して、その言葉のそれ以上の意味合いを考えない。言語処理が強過ぎると、見誤る。アカデミック世界は特に。絶対論になってしまう」

例えば、「それ人間的に良くないよね」と言った時点で、”人間的” とは何かを深く考えずに、その言葉はそれで終了してしまいます。”人間的” という意味は、本当はそれ以上の意味を持つはずなのですが…。その「言葉」を「論理的」に「処理」(「辞書的」に「使用」ないしは「判断」?)してしまうことで、その言葉は、ある一定の意味に切り取られ、それ以上にもそれ以下にもならなくなります。

言葉の伝達は、伝え方や受け取り方がいけないのではなくて、端的かつ単発的である性質上、何かを言葉で表現した途端、意味合いが限定的になってしまい、言いたいことが伝わらなくなってしまうという現象が起きる、ということですね。

「言葉」の性質:代弁するもの

少しわかりづらかったかもしれませんが、言葉の性質としてもう一つ言えることは、言葉はあくまで、発信者が言いたいことの「代弁」をするものであるということです。

何か伝えたい事があったとして、それを言葉にした時点で、自分が本当に言いたいことの100%は伝わらなくなります。90%伝わるかもしれないし、60%、いや30%しか伝わらないかもしれない。1%も伝わらないことも…。

例えば…

「机にあるペン取って」→ ”何その言い方?”

「今日、Aくんとケンカした」→ ”Aくんって乱暴な子なのね”

新聞の見出し『ロシアがウクライナを侵攻』→ ”ロシアってひどい国ね”

「それ人間的に良くないよね」→ ”確かに人としてダメよね”

「一人でボーッとしてるのが好き」→ ”今一緒にいるの嫌なのかな”

どれも、もっともな反応かもしれません。しかし、どれも、発信者の背景や、その言葉に至った深い理由はわからないのです。ましてや第三者が伝達するとなると、尚更です。

(私が、TVも持たないで新聞も読まない理由の一つはそこにはあります。情報が断片的すぎるからです。)

言葉は、本人の意図を、その本当の意図とは裏腹に、代弁しているに過ぎないのです。そしてその代弁は間違えることが多々あるという危険性をはらんでいます。

世の中の争い事の半分は、これら誤解が原因でないかと思っています…。

解決策として

だったら言葉を発しなければ良いのか!というわけにもいかないので…その言葉を自分なりに丁寧に扱うのが最善の策なのかなと思います。

こういったことから、私はコミュニケーションを取るときは、極力、言葉が限定的になる度合いを低くしたいので、直接会ってじっくり話すのが好きです。もちろん一つの言葉に対して何度も議論を重ねるということを、全部の言葉においてやるのは時間的に不可能なのですが…極力、です。

そして自分が受け手の場合、その言葉の背景や状況を考えるということです。言葉自体は本質ではなく、発信者の想いを代弁しているだけなので、ストレートに判断しないということですね。

これは言い訳にも聞こえてしまうかもしれませんが(💦)、そんなこともあり、メールやLINEなど、丁寧に返信したいと思えば思うほど、一つ一つ言葉を考えてしまい、いつも返信が遅い!と叱責されます。(ほんとすみません m(_ _)m)

そして、FB(フェイスブック)やブログなども時間がかかってしまい、筆が遠のいてしまうのです💦が、今後は頑張って丁寧かつ迅速に発信していく努力をしますので、よろしくお願いいたします。

最後に

今ここで、「言葉」について、このタイミングで書いたのは…今、正に、その「言葉」によって、混乱や誤解やヘイトが、私の周りで渦を巻いているからです。(”周り” でなく私自身も渦中に入っているか…)

先日、ある方とお電話した時も、初めは批判のお言葉から始まり、その後30分ほど丁寧にご説明したのち、最後には納得していただけたようでした。FBなどでのコメントではなく、お電話いただけたことに感謝しています。

このブログでさえも、言いたいことが伝わるのか、誤解を生まないだろうか、誰かに不快な想いをさせないだろうか、とずっと頭をグルグルさせながら書いています。

長くなってしまいましたが、そんなことを、皆さんと共有させていただきたく、5割でも、7割でも、私の伝えたかったことが伝わったのであれば、本当に幸いです。

今後も丁寧な発信をしていきたいと思っていますので、よろしくお願いしますm(_ _)m

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*私の兄・・・上から2番目の兄。高校の校風が合わなくて中退したため、「大検」を受けて大学に行き、教育学を勉強。小さい頃から、時間があれば本という本に読み更けている。基本的には、自分は何も知らないし知識はない(と謙遜している)が、物事の1を聞いたら100まで予測できてしまうという見識の持ち主。(←私から見た勝手な他己紹介です^^;)

近藤 さおり

近藤 さおり

2021年の秋、自然環境や人々の魅力に惹かれ日高市に移住。シングルマザーとして子供を育てながら市議会議員とコンサルティング会社を経営。

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